マニラ

フィリピンの首都  マニラ周辺のゴルフ場

街並 José Rizal マニラの夜遊び 

マニラ(タガログ語でMaynila)はルソン島のマニラ湾奥に位置する都市で、フィリピンの首都。「東洋の真珠」と呼ばれることもある。フィリピンがスペイン人によって植民地化された16世紀末よりフィリピンの首府であり、独立後も一貫して首都でありつづけている(一時期ケソン市に首都が置かれたこともあるが、マニラと隣接し、またマニラ首都圏の一市となったため、ここでは区別しない)。2000年現在での人口は、1,581,082人。都市の発展に伴ってマニラは本来のマニラの区域から拡大し、メトロ・マニラ(Metro Manila)とも呼ばれるマニラ首都圏(National Capital Region, NCR)へと広がっている。「マニラ」という名称はタガログ語で「ニラッド(植物の名称)のはえるところ」という意味の「マイニラ」に由来している。

      

地区

市域はパシグ川北岸の8地区、南岸の8地区に分けられる。北岸のビノンド地区はチャイナタウン、トンドは東洋最大のスラム街として知られる。南岸にあるマニラ旧城のイントラムロス地区など、観光名所はほとんどが南岸に集中している。

 

 

 

 

歴史

レガスピの到来

16世紀のスペイン人到来以前から、パシグ川の流域にあって、マニラ湾に臨む交通の要衝にあった現代のマニラ地域には、マレー人の集落が存在しており、中国人などがさかんに来航して交易をおこなっていた。東洋におけるスペインの拠点を築くべく初代総督としてフィリピンへやってきたミゲル・ロペス・デ・レガスピらはマニラの地理的な重要性に着目し、ここを占領して拠点化しようと考えた。レガスピは1570年に先遣隊を派遣してマニラを占領しようとしたがうまくいかなかったため、1571年に自ら赴いてマニラを占領した。レガスピは占領した5月19日が聖ポテンシアナという聖人の祝い日であったことから、ポテンシアナをフィリピンの守護聖人とした。

レガスピが築いた最初のマニラ市は、サン・アントニオ、サン・カルロス、サン・ガブリエル、サン・ルイスの四つの地域からなり、政庁と大聖堂および中央広場、アウグスティノ会の修道院や軍事施設、宿舎などがつくられた。

中国人たちはスペイン人の占拠によって交易に支障をきたしたため、その排除を狙った。初期のマニラは中国南岸部の海賊の領袖であったと考えられるリム・アホンなる人物の襲来を受け、火事などによっても破壊されることが多かった。

16世紀の終わりにこの地をおとずれたイエズス会員アントニオ・セデーニョは建築学の知識があったため、その指揮によってマニラの再建と要塞化がすすめられ、「イントラムロス」と呼ばれるマニラの城壁内地域が整備された。イントラムロスの内部には一般の建築物と共にマニラ大聖堂、サント・ドミンゴ教会など多くの壮麗な教会が建設されたが、多くは第二次大戦中に破壊され、現代も建設当時の姿を残しているのはサン・アウグスティン教会のみである。

中国人たちは依然としてアジア経済を握っていたため、マニラにおいても大きな影響力を持ち、イントラムロスの外に中国人街を築いて暮らしながら、スペイン人たちと取引をおこなっていた。スペイン人と中国人は時に敵対しながらも、共存するという関係を続けていった。こうしてマニラはフィリピン人、スペイン人、中国人の混合する街という独自の性格を形成していくことになる。